「いった〜い、もう、なんなのよ〜」
後頭部を抑えながら起き上がったブルマは、床にしゃがみこんだまま、先ほど自分が飲み干した液体の正体について、叔母あたりが若い頃に、通信販売か何かで買ったインチキ商品に違いないと推測した。
飲む前に騙されたことに気付き、無駄遣いを指摘されるのを恐れて隠したに違いない。
「ん〜・・・今のところ大丈夫そうだけど・・・あんなもの飲まされて後で変なことにならないでしょうね・・・だいたい蔵に隠すなっていうのよ!」
誰も飲むように強制したわけでもないのだ。飲むことを選択したのはブルマ自身だった。
「・・・って、あら?どこ、ここ」
自分のいる場所が、さっきまでいた自分のラボではないことに気付いてブルマは周囲を見回した。
辺りは真っ暗で、三歩先さえ何があるのかわからないほどだったが、不思議と自分の周辺だけは、ぼんやりと淡い光に包まれており、見下ろせば闇の中に自分の体だけが浮かび上がっていた。
自分は椅子から落ちて、長いこと気を失っていたのだろうか?その間に、父か母が倒れているブルマを発見して、違う場所に運んだのかもしれない、とも思ったが、だがこんな場所に?と疑問が湧く。
落ち着いて周りの様子を探るが、どうこがどうと説明は出来ないが、なんとなく馴染みのない空気が漂っていた。自分が光っているのもおかしい。
もしかして自分は夢を見ているかのかも知れない、と、違う可能性を考えてみる。だがやけにハッキリとした、生々しい感覚に違和を感じる。
夢とも現とも定かでないこの状況に、もうひとつの可能性を考えてみる。あの薬はインチキではなかったと・・・その可能性がブルマは一番気に入った。自分は間違ってなかったのだ。いや、だとしても、目覚めた時に記憶が残っていないというのが本当であればどうも納得がいかないが、それはとりあえず置いておくことにした。
ブルマは足を踏み出してみる。どうやら踏みしめるべき地面はあるらしい。もう一歩足を踏み出して確信すると、今度は大胆に、とっとと歩きはじめた。この先に、もしかしたら「運命の人」がいるのだろうかと、半分は本気で期待しつつ、半分は冗談のような気分で。
どちらの方角に進めばよいのか見当もつかなかったが、とりあえずその場に留まっていても仕様がない気がした。
しばらく歩いていると、周囲にチラチラと星が輝きだした。ブルマはいつの間にか夜空の中を歩いていた。地面の感触はある。平らな人工的な感触だ。ふと足元を見下ろすと、驚いたことに地面は見えず、底なしの宇宙が広がっていた。いつの間にか、もう上下左右ぐるり宇宙に囲まれていた。地球から見上げる夜空とは比べ物にならないほどの星が、視界いっぱいに溢れんばかりに輝いていた。
「まるで砂浜の砂をばら撒いたみたい」
ブルマはうっとりとつぶやくと、幾億の星の輝きに見とれながら、時間も距離も忘れてただ歩き続けた。ほとんど漆黒から次第に群青色、アメジストと溶け合う空間の中に、色とりどりのいくつもの星雲と、流星群を見た。星屑の集合体がこんなにも眩しいとは知らなかった。太陽以外の恒星の輝きに、初めて照らされもした。
朦朧としていた自分にふと気付く。いったい何時間そうして歩き続けたのだろうか。それとも何日?何ヶ月?
「あたしの運命の人は随分と遠くにいるのね」
そのつぶやきは、果てのわからない宇宙のなかに溶けて消えてしまった。
周囲の星が一斉に流れた。あっという間もなく、周囲は再び真っ暗になった。ただ足元の感触だけが違った。今度は、枯葉の降り積もった上のように、柔らかで心地よかった。
少し先に、自分を包むのと同じような、ぼんやりとした光が見えてきた。ブルマは迷わずその光に向かって歩いていった。
そこにはブルマと同じ年くらいの少年が横たわっていた。逆立った黒髪と、眉間に寄った深い皺、かみ締められた歯が、どこか凶暴な印象を与えたが、よく見ると端正な顔立ちをしているのがわかってほっとした。こんな怖い顔をして、いったい眠っているのだろうか?目が伏せられているのが残念だった。
「あんたがあたしの運命の人なの?」
少年のすぐそばにしゃがみこんで、しばらく顔を覗き込んでいたブルマだったが、思い切って声をかけてみた。
少年の瞼がピクリと動いた。低いうめき声を、かみ締めた歯の間からもらすと、うっすらと目が開いた。思いがけないほど鋭い視線がブルマの顔を捉えた。だがブルマは動じなかった。これは夢だとわかっていたし、相手はおそらく自分の「運命の相手」なのだ。
「・・・お前か?オレの傷を手当したのは」
ブルマは驚いて首を左右に振った。言われて良く見ると、少年は、引き締まった鞭のような体のあちこちに傷を負っているらしく、身につけている衣服もボロボロで黒い血の跡が染みついていた。手当てはされていて直接傷口は見えなかったが、あてられた布にも血が滲んでいた。ブルマはそのあまりの様子に真っ青になった。どうしてすぐに気付かなかったか不思議だった。
「あんた、怪我してるの?なんだか・・・死にかけてるみたいに見えるんだけど・・・まさか死なないわよね?」
少年が口の端をゆがめた。どうやら笑っているようだった。とてもブルマと同年代のものとは思えないようなその大人びた表情に、ブルマの胸が少し痛んだ。
「まるでオレが死ぬと困るみたいな言い方だな」
「困るわよ!だってあんたはあたしの運命の人なのよ。多分だけどね」
「ウンメイ?なんのことだ?」
「あんたとあたしが、この先どっかで出会って結ばれるって、最初っから決まってるってことよ」
怒ったような口調でブルマは言った。別に腹を立てているわけではなかったが、自分の中の不安を隠すために、思わず強い口調になってしまったに過ぎない。
「なんだそれは、誰がそんなことを決める?」
「さあ、神様?」
「ケッ、いったいどこの迷信だ?」
「まあ、あたしも本気で信じてるわけじゃないけど、迷信も悪いことばかりじゃないわよ」
「なんだ、お前だって迷信だと思ってんじゃねえか」
「・・・ねえ、こんなの知ってる?大昔、人間って男と女はくっついてひとつの体だったんだって。でもあんまし仲良すぎるもんだから、神様が嫉妬して二つに分けちゃったの。男と女がちゃんとひとつに戻るためには、自分の半身を見つけ出さなきゃいけないの。誰でもいいわけじゃないのよ。ちゃんと決まってるの。見つけられないと、いつまでたっても半分のまんまなのよ。もちろん作り話だけど、運命の相手ってのを例えるのにぴったりだと思ったの」
少年は何も応えなかった。目を閉じて静かに呼吸をしていた。最初に見たときのように、凶暴な印象は和らいで、どちらかというと穏やかな顔つきをしていたが、それはブルマを一層不安にするだけだった。
「寝ちゃったの?・・・ねえ、死なないわよね?ちゃんと生きてよ!あんた随分遠いところにいるみたいだけど、絶対あたしのところに来ないとだめよ。今日はあたしが来たんだから、次はあんたの番なんだからね」
胸の奥から込上げてくるものを、必死にこらえながらブルマは訴えた。
「・・・ああ・・・そのうちな」
少年は、もう一度目を開いて、ブルマを見た。
「オレが本当にその半身ってやつなら、そのうち行くだろうよ」
ブルマの瞳から涙がこぼれた。少年が瀕死の怪我を負っていることに驚いたし、こんな怪我を負ったいきさつを考えるのも恐ろしかったし、まるでそんなことには慣れているみたいな少年の様子にも傷ついた。その上、死にそうなくせに「そのうち行く」なんて普通っぽい応えに、ブルマはとうとうこらえきれなくなってしまった。そんなブルマの様子を、少年は驚いたよに見つめていたが、喉が渇いたとか、取り繕うようなことをつぶやいて顔を背けてしまった。
「くそ、水・・・おい、ラディッツ!水だ!水をよこせ」
少年は誰かの名を呼ぶと、一瞬にしてその場から掻き消えた。少年の手をとろうと伸ばしたブルマの手は、地面を触れただけだった。
「いった〜い、もう、なんなのよ〜」
後頭部を抑えながら起き上がったブルマは、床にしゃがみこんだまま、先ほど自分が飲み干した液体の正体について、叔母あたりが若い頃に、通信販売か何かで買ったインチキ商品に違いないと推測した。
飲む前に騙されたことに気付き、無駄遣いを指摘されるのを恐れて隠したに違いない。
「ん〜・・・今のところなんか大丈夫そうだけど・・・あんなもの飲まされて後で変なことにならないでしょうね・・・だいたい蔵に隠すなっていうのよ!」
立ち上がると、衣服のほこりをはたきながら、デスクに置かれた鏡に、何気なく目をやった。なぜか涙と鼻水で汚れた顔が映っていた。
「あれ?なんで?・・・あの変な水のせい?」
不思議そうに鏡を覗き込み、手の甲で顔を拭うが、涙は後から後から流れ出してくる。どうしても止まらない。ブルマはわけがわからないまま、そのまま声をあげて泣き出してしまった。何がなんだか自分でも分からなかった。