再び空を見上げたことと、その後の出来事 2

間もなく日没を迎えようとしていた。

「どうやら、自力で下まで下りる以外なさそうね」

ブルマは心細さを紛らわすように独り言を言うと、今自分がまたがっている枝に片手を添え、さらに片足をかけた。少し腰を浮かせて改めて下を覗き込むと、葉の茂った木の枝の間に間に見える地上までの距離は、ゆうに20メートルは超えている。見渡す限りでは辺りで一番高い木である。
視線を先に向けると、眼下に広がる森の樹幹の間から、自分がつい1時間ほど前まで乗っていたジェットフライヤーからたちあがる黒い煙が、地上から空へ、まだ細い筋を描いていた。上空の方は風が強まってきたが、下の方はそうでもないことが、煙の動きでわかった。

無事下まで降りれたとして、落としてしまったカプセルのケースを見つけることができるかもわからない。人家の気配は、ここから見渡す限りではまったくなかった。どんなに急いでも、下にたどり着く前に夜を迎えるのは確実である。獣の住む森の中を武器もなしにさまようのはかえって危険に違いない。

「だからって、こんなところじゃ夜は寒くて凍えちゃうわ。せめてもう少し下まで降りて、いい具合に体を落ち着けるところがあれば、朝までそこに留まる方がいいかもしれない」

同行者がいれば、頼りきりでこき使うブルマも、自分以外誰もいないとなると、案外逞しく行動する。危なげにではあるが、意を決して、ひとつ下に突き出た枝にうまいこと足をおく。そのとき突然頭上から声がかかった。

「おい、何をしている?」

驚いてバランスを崩しそうになるのを、なんとか立て直して幹に取りすがると、声の方に顔を向ける。見る前から正体はわかっていたが、ブルマが普段のトレーニング用に作った真新しいスーツを着込んだベジータが、腕組みをしたいつものえらそうな格好で立っていた・・・いや、浮いていた。
体格は孫悟空や地球人であるヤムチャにさえ劣るが、スーツに沿って浮き上がる筋肉の一筋一筋は、無駄のない、だが不足ない完璧な戦士の体を作り上げていた。長い年月、戦いに明け暮れてきた結果として完成された体だった。数え切れない命を代償にした体だったが、それでもブルマはベジータを美しいと思わずにはいられなかった。

「あ、あら、ベジータじゃない。あんたこそ何やっているの?」

うっとりと魅せられそうになりながら、勤めて冷静に、ブルマは対応した。

ベジータはジェットフライヤーのあげる煙の方向にふいと顔を振る。ここから西の都まではまだ相当な距離があるが、そこからでも見えたのか、あるいはどこかへ移動中だったのか、煙に気づいて様子を見に来たらしい。

「ああ、アレね。まあ、ちょっとした実験よ。開発中の新型のジェットフライヤーのある一定条件下における墜落時に描く放物線のボディの形状の違いからくる差異を比較検証するためのデータを収集していたわけよ。まあ、あんたは興味ないことでしょうから、これ以上のことを説明となると相当長くなるからあたしのためにもあんたのためにもやめときましょね」

思いつきの薄っぺらなデタラメを、突っ込まれないように早口でまくしたててチラリとベジータのほうを見ると、案の定まったく興味なさそうに、ただ煙の不規則な運動を眺めているだけだった。

「重力室はしばらく使わん。オレがいない間にキレイにしとけ」

そう言ってその場を離れようとするベジータを、思わずワ〜とかギャ〜とか叫んで、なんとか引き止めることに成功はしたが、当然のようにベジータの不審を買ってしまった。
疑わしそうな表情でブルマを見下ろすベジータの顔に、次第に残酷な笑みが広がっていった。

「ふふん、そうか、お前、もしかしてかなり困った状況にあるんだな?」

ブルマはなんとかごまかそうとしたが、結局観念して、木から下りれなくなったことを認めた。
ベジータはブルマがかろうじて立っている枝に下り立つ。幹に必死でしがみついているブルマに対し、当然のことだがベジータは、腕組みしたまま、まるで地面に立つように自然に。

「いい格好じゃないか。普段の威勢はどうした。まあ、ひ弱い地球人じゃ、きっとこの高さから落ちれば相当にひどいことになりそうだな。特におまえはまったく鍛えることを怠っていたわけだからな、ブルマ」

ベジータは最近ようやくブルマの名前を呼ぶようになった。ベジータの口から自分の名前が出ると、ブルマは不思議と心が躍ったが、今はそれどころではない。まったくなんと憎憎しい男であることか。か弱い美女が助けを必要としているというのに、このあからさまなザマヲミロ的態度はなんなのだろう。それに地球の女の子がどんなに鍛えたって、こんな高さから落ちれば怪我だけですむわけがない。もちろん男もだ。

「まあ、お前が、オレに対するこれまでの無礼の数々を、泣いて詫びるなら助けてやらんこともないぞ」

ヤジロベエやウーロン、あるいは通常の精神構造の一般地球人なら失神しかねないほどの凶悪面で、ニヤリと笑いながらベジータは言った。

ベジータはそもそも、今のところ利用価値のあるブルマを見捨てていくつもりはなかったのだが、この状況を楽しまないわけにはいかなかった。いつも何故だかわからないのだが、ベジータはどうしてもブルマの優位に立つことができなかった。ベジータがどんなに凄んでも、ブルマはまったく危機感を覚える様子がない。眉根を寄せて不愉快そうにジッと見つめ返す視線に、何故かベジータの方がたじろいでしまう。勢いで殺してしまうのも、なんだか悔し紛れの子供の仕業のように思えたし、それではブルマに敗北を認めさせることにはならなかった。
虫けら同然であるはずの異星人相手に、まったくらしくない、奇妙な心境だったが、ベジータはどうしても、劣位に立ってうなだれるブルマを見たかったのだ。だが、ベジータのその願いは今回も叶わなかった。

「あのねえ・・」

ブルマが深いため息をつきながら、しょうがないわねえ、といった風に首を振った。

「なんであたしがあんたに詫びないといけないわけ?そもそもなんであたしがこの空域を飛んでたかっていうと、結局あんたのためなわけよ。あんたの戦闘用のスーツ、とにかく素材を徹底的に調べていたわけだけど、あれだけ強靭で非常識なほどに伸縮性に富む素材って、地球レベルじゃどうやっても作れないのよ。まあ伸縮に関しては大猿に変身するわけじゃないからある程度ハードル低いんだけど、それにしたってどうせなら遜色ないもの作りたいじゃない?ていうか勝るものを作りたいわよね。あんたをギャフンと言わせる・・・じゃなくて、満足させられるくらいのね。最近行き詰ってたんだけど、ちょっと着眼点を変えようと思って、父さんのともだちの単細胞生物の権威に助言をもらいに出かけて行って、帰る途中に今の状況に陥ったってわけなのよ。ね?あんたのせいでしょ?しかも博士の研究所はもともと東の都にあったんだけど、あんたたちが一番最初に地球にやってきたときにふっ飛ばしちゃったあの街ね。そのせいで随分南のほうに引越しちゃって、位置的にはあたしらの西の都とほぼ同じ緯度にある村なんだけど、つまり今いるこの場所はその博士のいる村とカプセルコーポの直線上にあるわけ。東の都をあんたたちが壊さなかったら博士も引越しなんかしなかったわけだけだから、あたしのとる航路も当然違っていたはずなの。そしたら寝ぼけた翼竜があたしのジェットフライヤーと異常接近することもなかったし、翼竜が回避する時にあたしのジェットフライヤーを尻尾に引っ掛けることもなかったの。はずみで機外に放り出されたあたしがカプセルのケースも落として木の上で途方にくれることもなかったの。ほら、あんたのせいなのよ。詫びるのはどう考えたってあんたの方よね?でもあたしはあんたの性格まあまあ理解してるから、あんたに詫びろなんて言わないわ。その代わりきっちり責任とってよね」

ついさっきまで、鬼の首でも取ったような喜色浮かべていたベジータの顔は、ブルマのあんまりな論調に唖然としてしまった。どう返せばいいのか全くわからなかった。
ブルマの勢いに、なんだか自分のせいのような気さえしてきた。実際自分のせいだったとしても、それがなんだというのだ、と思うのだが、これ以上ブルマとしゃべっていると、妙な暗示にかけられて、フラフラと頭を下げてしまうかもしれない。頭を振って正気を取り戻すと、早々にこの場を立ち去さるべきとベジータは判断した。

この虫けらほどの力しか持たない女に、何故か毎回やりこめられれてしまうのだ。サイヤ人のエリート戦士たる自分が、どうしたことだと思うのだが、どうしても反撃のいい手が思い浮かばない。片手を振り上げて、振り下げれば、それで事は終わるかも知れないが、こちらに真っ直ぐに向けられる視線を見返していると、どうしてもそれができなくなってしまうのである。だからといって目の前の敵(?)から、まるで怯えたように視線を逸らすなどできるわけがない。
もしかしたらこの女は、なにかおかしな手妻を使うのかと、疑うこともあった。

微妙な加減に赤みを帯びた青い虹彩。魅入られそうになる。うっかりと心に隙をつくってしまう。そこからつけいられる。
とりあえず、今は女から逃れるべきだ。これ以上この場に留まると、決定的な負けを喫してしまいそうだった。

「・・・そうか、そいつは災難だったな」

口の端を引きつらせながら、辛うじてそれだけ言うと、ベジータはクルリとブルマに背を向け、体を浮かせた。ブルマのあわてたような、怒ったような声が背後に聞こえる。

ふと、視界に飛び込んできた光景に、ベジータは思わず動きを止めた。
この地球の大半を占める、青い海をそのまんま映しこんだような空に、沈んだばかりの陽の名残の色が溶け込んでいた。薄く刷毛で刷いたような雲の隙間に透かした色は、たった今まで自分に向けられていた女の瞳の色だった。今も背中に感じている。
ベジータは、かつて、自分が死にかけたある星で、これと同じ空の色を見たことを思い出した。その時も、誰かがこの瞳で自分を覗き込んではいなかっただろうかと、奇妙な既視感のようなものを覚える。釈然としないまま、確認するように、ゆっくりともう一度ブルマを振り向く。

何故自分がそうしたのか、ベジータ自身よくわからなかった。
振り向いたベジータに、ブルマが眩しいような笑みを浮かべて、幹に添えた左手も右手も、ベジータの方に差し出した。
ベジータは、咄嗟に前に倒れこむように投げ出された体を受け止めると、ブルマは両腕をベジータの首にしっかりと絡めた。やわらかい、冷たい頬が、ベジータの頬に寄り添った。

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