再び空を見上げたことと、その後の出来事 4

別にブルマの様子が気になったわけではいと、ベジータは思っている。ただなんとなく立ち去りがたく、カプセル・コーポの敷地に留まっていた。
都の真ん中にありながら、カプセル・コーポの広大な私有地の中では、都会の喧騒は不思議なほど遠く感じられた。もちろん、敷地の周囲に張り巡らされた、遮音装置のせいもある。ベジータの私室の窓の先に広がる森の中では、わずかに漏れ聞こえる人工的な音も、意識して聞こうとしなければ、葉擦れの音に紛れてしまう。
そこはなかなか落ち着ける場所だった。近場でイメージ・トレーニングをする時などは、もう少し奥まった場所に陣取ることもあった。一応庭であるはずだが、住人はめったに奥まで踏み入らないらしい。生き物は、鹿やリスなど、たまに動物の姿を見かけるくらいだった。

だが今夜のベジータは、部屋の窓が見える場所に腰を落ち着けていた。そもそも遠出するつもりだったのを、今なんとなく、出かけるタイミングを図りかねているだけなのだ。
具合のよい枝に腰を下ろし、ベジータは、所在なげに空を見上げていた。

空を見るともなしに見ながら、カカロットのことを考えていた。未来から来たというおかしな”ガキ”のことを考えていた。超化できない自分のことを考えていた。そしていつかブルマの言っていたことを考えていた。

「もう少し地球に馴染んだっていいんじゃない?地球育ちの孫くんがスーパーサイヤ人とかいうのになったのも、きっとサイヤ人に地球の水があうからじゃないかしら」

そんな単純なことではないと、ベジータは思う。だが、ベジータは、ナメック星で死ぬ直前、フリーザには適わぬまでも、すでにサイヤ人の限界は超え、生きかえってさらに力は上回り、何度も死の淵に片足を突っ込むほどのトレーニングを重ねながら、未だ超化には至っていないのだ。こうなると、肉体的なことよりも、精神的なところに、なんらかの枷がかかっているとしか考えられなかった。案外ブルマの言うことは、的を射ているのかもしれない。いや、的の真ん中ではなくても、端っこ辺りにかろうじて引っかかっているかもしれない、ということもありそうだった。
サイヤ人の肉体を持ちながら、サイヤ人とは全く違う精神構造を構築しながら成長したカカロット。
だからこそ、ブルマに言われた直後から、ベジータなりに幾分ガードを緩めて地球の習慣を受け入れるところもあったのだが、それはあくまでもベジータの許容範囲内のことで、馴染んでいると言うにはほど遠かった。

そもそも、これまで自分が何かに馴染んでいたことなどあっただろうかと、ベジータは首をひねる。
幼い頃に故郷の星は消えてなくなった。その後はフリーザ軍を根城にしながらも、ほとんどは星から星を渡り歩き、行った先々で馴染むどころか殺し尽くして後は思い出しもしなかった。強いて言うなら、いまいちしっくりはこないが、ナッパやラディッツとは馴染んでいたかも知れない、と思う。20年余りを、三人ぽっちの生き残りで、果てのない底抜けの宇宙を彷徨ってきたのだ。今思えば、三人きりでいるときが、一番気を抜いていたようだ。特にラディッツなど、一緒に寝床に入っても気にならいほどだった。
だが二人は死んでしまった。うち一人はベジータが直接手を下した。せいせいした。これで何も心にかかるものがなくなったと、そう思った。

「・・・・・・」

・・・二人はオレの枷だったのか?

馴染むということは、枷をつくることなのだろうか。
地球に馴染み、非情になれないカカロット。たくさんの甘さを抱え込み、同じだけの枷を引きずりながら超化した、サイヤ人らしからぬ究極のサイヤ人。

そんなものを抱え込まなければならないなら、オレは一生超サイヤ人にはなれないだろうさ

ベジータはせせら笑った。サイヤ人の血と、誇り以外、ベジータはもう何一つ持ってはいなかった。ベジータ自身の死によってしか失われることのない、形なきものばかりだった。枷にははなりえないものばかりだった。ベジータは何所にも帰属しておらず、何もベジータに帰属するものはなかった。

「ベジータ」

いつの間に目を覚ましたのか、ベジータの部屋の露台から、手すりに手をかけて、ブルマがこちらを見上げていた。ブルマの動く気配があれば、すぐに立ち去るつもりだったが、うっかりしていた。このまま行ってしまってもよかったが、思い直してブルマのもとへ下りていった。

「あ〜・・・今日はありがとう、助けてくれて・・・途中で捨てないでくれて・・・」

ブルマは恥ずかしそうにうつむいたままそう言った。
それはいつもの彼女らしい仕草ではなかった。視線はベジータの足元だった。

「おい、なんだその態度は。それはオレに降伏したということか?」

「はあ?コウフク??」

驚いたように目を見開いて、ブルマは顔を上げた。別にブルマはベジータと戦っていたつもりはないし、何故お礼の言葉が負けを認める言葉になるのか理解できなかった。
だが相手はサイヤ人である。今まで誰かに感謝されたことなどあろうはずもないから、よくわからないまま、自分の理解できる言葉に置き換えてみたに過ぎないのだろう。

「違うわよ。人にして欲しいって思ってることをしてもらったら、嬉しいって思うでしょ?・・・あたしたちは嬉しいのよ。その嬉しい気持ちを相手に伝えるために、『ありがとう』って言うの」

言葉に出して説明してみると、ブルマ自身なるほどと思った。これまでもっと適当な感じで口に出していたような気がする。ベジータはと言えば、まるで「そんなことは知っている。馬鹿にするな」とでも言いたそうな顔つきだ。わかってないくせに、と、ブルマは思う。

「そして、その気持ちが伝わったら、相手は『どういたしまして』って言うのよ」

ベジータは、馬鹿らしいとでも言いたげに鼻を鳴らすと、踵を返して、手すりに足をかけた。

「待ってよ!『どういたしまして』って、今おしえてあげたでしょう?」

ブルマは、思いがけないほど、自分が必死な声をあげているのに気がついたが、それを改めている余裕はなかった。今はとにかくベジータを引き止めたかった。

「気持ちが伝わったら言うんだろう?あいにくオレには伝わらなかったんでな」

ベジータは足を手すりにかけたまま、半身だけ振り向いて、少し驚いた。ブルマが変な顔をしていると思ったら、突然涙をボロボロと零したからだ。
これまでも、ブルマがなんだかよくわからない理由で泣き喚いているところを見かけたことがあったが、今は自分に関係あることでそうなっているらしいのだ。

「なんで伝わらないの?」

ブルマはこぶしを握って涙を拭いながら言った。それはあまり乙女らしい仕草ではなかった。

「どうやったら伝わるのよ?」

ベジータは、飛び去るはずだったことも忘れ、口にすべき言葉も見つけられなかった。

突然女の夕暮れの空の瞳から、雫がこぼれた。ベジータはうろたえた。女は泣いているらしい。だがこんな風なのは見たことがなかった。ベジータの前で泣く者は、皆恐怖に駆られた者達ばかりだった。あるいは憎悪を込めて涙を流した。そんなものは全く意に介さなかった。笑いを誘いこそすれ、何もベジータの心には届かなかった。
だがこの女の涙は、何故かベジータを落ちつかなくさせた。

あれは夢ではなかっただろうか。もうずっとずっと昔のことのはずなのに、これまで思い出したこともなかったのに。女はなんと言っていただろう。

「あんたさ、宇宙(そら)に溶けちゃいそうだったわ・・・」

科学者が何をわけのわからないことを、と、思ったが口には出さなかった。足をてすりにかけたままの体勢で、はたから見ると、ただぼんやりとブルマを見詰めているだけだった。
突然ブルマが足を踏み出して、ベジータとの距離をつめると、両腕をベジータの首にまわして、グイと力をこめた。もちろんベジータはそんなことではびくとも動かないが、ブルマの柔らかい体はベジータに密着し、その唇は、ほとんど同じ高さにある唇を容易に奪った。そっと触れただけの口付けだったが、ベジータは自分の奥底に、ズクリと疼くものを感じた。

「ねえ、これなら伝わった?」

ブルマの濡れた瞳が、思いつめたように間近にベジータを見つめる。その奥に、怯えにも似た影が見え隠れしていたが、決して弱弱しく伏せられることはなかった。いつもベジータを落ち着かなくさせる眼差しをはらんでいた。
今、ベジータは、目の前の女を美しいと思った。自分はずっとこの女を美しいと思っていたことに、ベジータは初めて気がついた。
血の色や完璧な戦闘に、圧倒的な力に、容赦のない冷酷さに美しさを感じることはあった。かつて、憎悪の対象であったはすのフリーザは、当時のベジータにとって、美しさにかけては他に並ぶものはなかった。自分こそがあああるべきだと思っていた。ベジータにとってフリーザを倒すことは、フリーザを越える、美しさの極みに上り詰めることでもあった。
もちろんフリーザの姿形を言っているのではない。形をとって存在するものの表面的な造作は、ベジータにとって審美の対象ではないのだ。
もちろんベジータとて、形が整っているかそうでないかの判断はつくのだから、ブルマの形が整っていることくらいは見れば判る。だがそういった目に見えるものではない、彼女の精神の有様(ありよう)を、ベジータはその瞳の奥に見出していた。それは、これまで彼が見つける機会を持たなかった類の美しさだったため、長いこと気がつかなかったに過ぎない。

「お前は、オレの枷になるか?」

そんなものが超化に関係するなど、本当はこれっぽっちも信じてはいなかったし、ましてやそのモノが枷になるかどうかはベジータ自身の問題なのだから、相手に対し、なるかどうかを問うても詮無いことだとはわかっていた。ただ、他に言葉を思いつかなかったので、先ほどまで考えていたことを、なんとなく口にしてみただけだった。
ブルマはその言葉の意味を推し量るように、眉根を寄せて、首を傾げてみせる。そうすると、先ほどまでの切実な表情は一転し、いつものブルマにもどったようだった。

「そうね・・・あたしがあんたを、つなぎとめる枷になる」

手すりにかけた足を下ろして体を向き直ったベジータは、ブルマの細い腰に腕をまわして、へし折らない程度に力を入れて抱き寄せ、いささか乱暴な仕草で自室に連れ込み、寝台に押し倒した。組み敷いたブルマの顔を、しばし眺めていたかと思うと、その頬をベロリと舐め上げた。ブルマは驚いて目を見張る。

「顔が汚れていた」

ベジータは、埃と涙で汚れたブルマの顔をキレイにするつもりだったのが、自分が舐めたことでさらに汚れてしまったことは言わず、無造作に着衣を脱ぎながら、お前も脱いでしまえとブルマに促した。

<<3 おしまい

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