再び空を見上げたことと、その後の出来事 3

結局ベジータは、ブルマを抱いたままカプセル・コーポへと戻って来た。
いつものように窓から自室に侵入すると、部屋の照明を点けて、しばらく前からやけに大人しいブルマを、そうしたいのはやまやまだったが、力の抜けきった体を乱暴に突き放すことはせずに、支えたまま、その様子をうかがった。

のびてやがる・・・

ベジータの胸に抱え込まれていたとはいえ、生身のままではスピードに耐えられなかったらしい。ブルマは気を失っていた。ベジータは舌打ちをして自分のベッドの上にブルマの体を放り出す。胸から腹の辺りから腕にかけて、ブルマの体温の残る部分だけが、やけに温かだった。

放っておいてもどうせすぐに正気を取り戻すに違いない。そしたら自分で歩いて部屋にもどるだろう。

それにしても、地球人とはなんとひ弱い生物であることか。実際腕を回してみると、想像以上にか細く柔らかい。こんなものは殺さないようにするのは至難の業であると、ベジータにおかしな戸惑いを覚えさせるほどだった。だからベジータは、そんなことは全く普段のベジータらしくないことだったが、腕に込める力も、速度も、十分加減して飛んだつもりだったし、出来るだけ低空を飛行した。だというのに、ブルマはこの体たらくである。

我知らず、ベジータはの視線は、瞼が閉じられたブルマの顔に吸い寄せられる。気を失っているというよりほとんど眠っているように見えた。もしかしたら本当に眠っているだけかもしれない。この女なら、のんきにぐうぐう寝ている方が、よほどありそうなことだと思った。
ベジータは確かめるように覗き込む。相手が知らないのをいいことに、まるで不思議なものでも見るように仔細に観察する。爪の先を表面に走らせるだけで、破れてしまうのではないかと思うほど、皮膚は薄く繊細に見えた。照明の明かりのせいか、長いまつげが影を落とす頬は、血の気が引いたように真っ白で、ベジータを少しだけ不安にさせた。しかし呼吸は穏やかで、表情は笑みさえ浮かべていた。

よく考えれば、ブルマの色の白さはいつものことだった。ベジータが見たことのある他の地球人と比べても、何かの栄養素が不足しているのではと疑うほど、ブルマは色素が薄かったが、ブルマの母親も似たような色をしていたので、そんなものなのだろうと納得した覚えがあった。
地球人と一口で言っても、様々な種族に分類できるらしく、サイヤ人と違い、その見た目は多種多様だった。地球人とサイヤ人は、外見的特徴は多くの面で通じるものがあったが、特に孫悟空ことカカロットが、まったく違和感なく地球に溶け込めたのも、その地球人の見た目の多様さのせいだったに違いない。

ところで、時にベジータは、ブルマと相対するとき、まぶしいように目を細めてしまうことがあったが、もしかすると、それは明度が幾分関係しているのではないかと思いついた。色素が薄くて明度が高いため、光を反射するのだ。同じくらい明度の高いパンチー夫人は、ブルマほど頻繁に接触する相手ではないから気づかなかったのだろう。だが、文字通り真っ白な肉体を持つ種族、例えばフリーザあたりに同じようなことを感じたことはなかったはずだった。

「あいつは魂が暗黒だったからな、光はすべて暗黒魂に飲み込まれるに違いない」

ベジータはフンと鼻を鳴らすと、それ以上益体もないことを考えるのはやめにした。

* * *

温かな胸に抱かれる夢を見ていたはずのブルマは、寒さに体を震わせて意識を覚醒させた。
見覚えのある部屋の、見覚えのある調度に囲まれて、柔らかいベッドの上に横たわっていた。見覚えはあるが馴染みがないのは、ここが自宅内ではあっても、自分の部屋でも、ラボでも、自分を捨てて姿をくらませた元恋人の部屋でも、居間でもなく、居候の異星人の部屋だからだ。出入りすることはあっても、目覚めた時にこの部屋にいるのは初めてのことだった。

「・・・ああ、そうか、途中で捨てたりしないで、ちゃんと家まで運んでくれたんだ」

自分を助けてくれるように、なんとかベジータの説得を試みたブルマだったが、その甲斐なく、ベジータはブルマを木の上に残して行ってしまうはずだった。
ベジータが背中を向けたとき、ブルマは胸が痛んだ。おいて行かれるのだと思った。ベジータも行ってしまうのだと。だが、そのまま飛んでいくかに思われたベジータは、何故か思いとどまったのだった。ゆっくりとこちらを振り向いた顔は、何とも言えない表情を浮かべていた。言ってみれば・・・戸惑うような?
だが、自他共に認めるサイヤ人の最凶悪王子が、何を戸惑うことがあろう。
実際戸惑っていたのかどうかは知らないが、とにかくその顔がひどく幼く見えたことだけは確かで、さっきとは違う感じで胸が痛んだ。何かを忘れているような、変な気持ちが心を掠めたが、それはほんの一瞬のことで、ベジータが振り向いてくれたことが嬉しくて、必死な気持ちも手伝って、高い木の上にいることなど忘れて思わず手放しで飛びついてしまった。

ベジータが普段つれない相手なだけに、その言動の中から、ほんのかすかな親しみを感じさせる(ブルマが勝手に感じとるだけかもしれないが)部分を見つけただけで、ブルマは有頂天になった。名前を呼ばれると心が踊り、呼びかけに反応すると満足感を覚えた。皮肉な笑みにさえも、同調して頬が緩んだ。振り向いてくれたというだけで、なりふり構わず飛びついてしまった。
自分のそんなはしゃぎっぷりに、はたと気づいて気恥ずかしくなることもあった。

「あたしって、恋する乙女なんだわ」

ブルマは、自分がつぶやいた「恋する乙女」というフレーズが気に入って、満足げに微笑んだ。

「でも相手がベジータなんて、なかなか不毛だわ・・・」

体を起こして、窓の方に目を向ける。床まである窓は、敷地内の小さな森に面した露台に向かって大きく開いており、風はなかったが、夜の冷気が遠慮なく部屋に流れ込んできていた。
着っぱなしのフライト・ジャケットの前を掻き合わせながら露台にに歩み出ると、前方に丈高い常緑樹の森が、夜空を背景に濃い影絵を描いていた。森のさらに向こうに広がる西の都の街の光が、ぼんやりと淡く空に滲んでいるせいで、森と空との対比はなお一層はっきりとしていた。その明かりのために梢あたりの星は見えにくかったが、首をもう少しのけぞらすと、星の小さな輝きがいくつも確認できた。
ブルマはもっとよく星を見るために、一旦室内に戻って照明を消そうと振り向きかけたその時、夜空を背景に、一本の木のほとんど頂上付近の、葉の茂りの薄い枝の上に人影を見つけた。

ベジータだ

もちろん顔が見えるわけではないが、あんなところに人間がいるとしたら、カプセル・コーポ内ではベジータしか考えられなかった。例え部外者が侵入していたとしても、まさかあんな所に上る理由は何もない。

ベジータは、全くブルマの方に気づいている様子はなかった。よくはわからないが、自分のような弱い気配など、よほど注意していなければ気づかないのだろうと、ブルマは思った。

つい数時間前、ベジータの胸に抱かれて空を飛んだことを思い出した。ブルマは必死にベジータの首に腕を回してしがみついていたが、背中と膝の裏に、ベジータがしっかりと腕を回してくれていなければ、すぐに力尽きて地上に落下していたに違いない。いや、力尽きる前に、確か自分は気を失ったはずだった。せっかくあの胸に抱かれながら、意識を手放してしまうとは、実にもったいないことをしたと思った。だが、意識のない間も、ずっとベジータの心臓の音が聞こえていたような気がする。冷血漢のサイヤ人の体温は地球人並に温かく、案外やさしく感じたことを、今でもブルマの体は覚えていた。

「ベジータは、どう思ったのかしら」

自分を抱いてここまで運んでくる間、ベジータが何を思ったか、ブルマは知りたかった。
こんなことなら、もっと素敵な格好をしておくんだったと、自分の今日の服装を確認する。年配の研究者を訪ねるのに、襟ぐりの深い服も短いスカートも必要なかった。かといって特に敬意を払った格好でもなかった。むしろぞんざいと言ってよかった。丈夫そうな厚手の綿のパンツをごつい編み上げのブーツに突っ込み、白い丸首のシャツにフライトジャケットを引っ掛けただけである。つまり突然訪問を思いついて、着の身着のまま出かけていたのだ。その上化粧もしておらず、飛行機から放り出されて木の上で吹きさらされていたので、触れてみれば髪の毛もバサバサである。とうてい男の気を引くような格好ではないと、ブルマはがっかりした。
それとも、サイヤ人は地球人と同じように温かい血が流れていながら、やはり心は冷え切っており、他人を胸に抱いても、何も感じたりはしないのだろうか。
いや、そんなことはないとブルマは思う。

「・・・だって、ほら、なんて寂しそうなのかしら・・・」

木の上のひとりぽっちの影が、夜空に、宇宙に溶けてしまいそうだった。

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