「ベジータ王子、フリーザ様の下へ案内する」
中に入ることもなくそれだけ告げると、男はさっさとドアの影に姿を消した。靴音だけが遠ざかっていく。
ベジータがナッパの足元を通り過ぎざまに、ついて来いと顎をしゃくった。
王子は急ぐでもなく、男が消えた方に広い通路の真ん中を歩いていく。その後ろを、王子の歩調に合わせながら大男のナッパが歩いていく。そんな主従に、行き交うフリーザ軍の雑兵たちが両脇によけて進路を譲る。
道の分岐点で男が待っていた。二人の姿を認めると、右に折れて、再び靴音を響かせる。王子は男の歩調にあわせる気などさらさらないらしい。すぐに姿は見えなくなった。それでも王子はほんの少しも急がない。ナッパは相当歩きづらかったし、時折王子を踏んづけそうになりながらも、王子のその態度はなかなか気に入っていた。
しばらく歩くと例の男が大きな扉の前に立っていた。こちらに向けられた顔が少しイラついているのに、ナッパはひとりひそかにほくそ笑んだ。
扉が開くと、男はベジータ王子を連れて来た旨を部屋の中の人物に告げ、ベジータとナッパに中に入るように促すと、自分もそれに続いて中に入り、部屋中央で立ち止まった二人の脇を抜け、奥にたたずむ奇怪な人物の左脇に立った。
反対側にはもう一人、二人を案内してきた男と同等レベルの戦闘力を持つ、でっぷりと膨らんだむさ苦しい生物が控えていた。ナッパの一方的で偏った見解によれば、その生物は人物とも男とも表現されない、醜いエイリアンだった。めくれた分厚い唇に、卑しい笑みを浮かべて、馬鹿にしたような目つきで二人のサイヤ人を見ている。
だがナッパはそれを目に端に捕らえただけで、意識はすぐに、正面中央の怪人に集中した。
小さな人物だった。
一般の戦闘員と同じお仕着せの戦闘ジャケットをまとってはいたが、一部皮膚が骨格化している部分があり、まるで自前の鎧を装備しているようだった。先細りの太い尻尾が、床の上でとぐろを巻いていた。
ナッパはフリーザを見るのは初めてだった。凍りつくような冷たい眼差しと、薄い唇に張り付いた笑みから、視線を逸らすことが出来なかった。これまで経験したことのないような緊張が全身に張り詰め、あまりのパワーの差に、鳥肌さえたった。
スカウターが表示する戦闘力は、辛うじて測定可能な範囲を指していたが、それが見せかけのものであることはすぐに察しがついた。
状況に応じて戦闘力を変化させる、そういう種族がある。例えばサイヤ人は変身によって10倍ものパワーを発揮するが、もっと柔軟に、姿を変えずに力をコントロールするものがある。フリーザがどういうタイプかはわからなかったが、とにかく、スカウターの数値だけを見て判断できる相手でないことは確かである。
右側のデブが、サイヤ人に跪くように言った。サイヤ人は、もう以前からフリーザに対し、まるで臣下の礼をとるように強要されていた。ナッパの斜め前に立つ王子がこだわりなく(ナッパにはそう見えた)、ふわりとした動作で膝を折るのが目に入った。王子に習い、ナッパも膝を折る。しかし、自分たちの王に対してもめったにやらないことをフリーザにしなければいけないことを、ナッパは内心苦々しく感じていた。
「ベジータ王子、惑星ベジータの災難は気の毒でした。すぐにあなたに知らせるべきでしたが、わたしたちも突然のことに混乱して、指揮系統が一部麻痺していたようです。ようやくあなたに事の次第を伝えることができたのが今日になってしまったのは、完全にわたしたちの不手際です。責任者にはそれなりの制裁をあたえていますから、どうか許してくださいね」
丁寧な言葉遣いで自分達の非をわびているようではあるが、フリーザの口元には相変わらず笑みが浮かんでいた。
「たった二人になってしまいましたが、あなた方サイヤ人の能力をわたしはとても評価しています。帰る星とてないあなた方ですから、今後はわたしの元に留まって、その力を存分に発揮してください」
今後いくつかの特別部隊を編成するなかで、あなたたちサイヤ人を中心に据えた部隊も考えている、といったことをフリーザがしゃべっていると、ふいに王子は立ち上がった。
ナッパはいささか呆気にとられて、跪いたまま、自分がとるべき行動に迷った。このまま跪いたままでよいのか、王子に習って立ち上がるべきなのか。フリーザと両脇の二人もいぶかしそうにその王子を見つめる。王子はそんな三人に、いや正面のただ一人にのみ視線を合わせているようだった。
「惑星ベジータのサイヤ王国は消滅し、ベジータ王のサイヤ一族とフリーザ軍の契約も消えてなくなった」
王子の幼い声が、不思議な浸透力をもって室内に響き渡った。ナッパの位置からは、王子の表情を見ることは出来なかったが、堅く握り締められた小さな拳はかすかに震えていた。
「我らとフリーザ軍との関係は今や白紙の状態である。我らはこれまでもそうであったように、フリーザ軍の組織の中に組み込まれるつもりはない。サイヤ人はサイヤ人だけで独自に動く。我らの力を必要とするなら、そちらとはこれまでのよしみもある。新たに報酬その他の条件を取り決めた上でなら仕事は引き受ける」
数秒、誰も言葉を発するものはなかった。五歳の子供の言葉とは一瞬誰も信じられなかった。ナッパは我に返るとフリーザのほうを見た。フリーザの口元からは笑みが消え、今度は先ほどまで表情の無かった瞳に、可笑しげな光が宿っていた。両脇の二人の方は鳩に豆鉄砲といった顔だった。
ほんのわずかな間の沈黙は、下品な馬鹿笑いによって破られた。右側のデブだ。
「バカめ!サイヤ人の、しかもガキごときの力など我々には必要ないわ!いったい自分を何様だと思っているのだ。ああ、王子さまだったな。ばからしい。特選部隊を任せるなど、フリーザさまがどんなにお心をくだいておられるか、みなしごのサルには理解できないようだな。思い上がりも甚だしい。跪いてフリーザさまにお願いしろ。どうか我らを軍の末席に加えてくださいと、手足になって働きますとな。働きによっては衣食住の面倒くらい十分にみてやるわ」
ナッパは思わず立ち上がり、戦闘力は遠く及ばないデブに対して威嚇の表情を向け、デブはバカにしたような余裕の笑みでそれを受け止める。王子がナッパを、フリーザがデブを制する。その時フリーザがデブの名前をよんだ。デブの名前はドドリアというらしい。フリーザは、再び口元に笑みを浮かべて言った。
「ベジータ王子、いえ、もう王国は消滅したのですから、ベジータさんとおよびしましょう。あなたがそう望まれるならそれでもかまいません。なんと言ってもサイヤ人は特別な種族なのですから。わたしはいつだってそう思っていましたよ」
「今後サイヤ人の生き残りが発見された場合は、即刻こちらに引き渡してもらいたい」
「・・・わかりました、報酬や待遇など、細かい契約内容は後で取り決めることにしましょう」
フリーザはあっさりと了解した。後日草案を持って行かせるので、それまで船内で自由に過ごして欲しいとその場を締めくくって二人を解放した。
「フリーザは油断のならんやつです。オレはあいつを見て確信しました。ベジータ星は巨大隕石などぶつかっちゃいねえんだ」
部屋に戻るやいなや、ナッパはスカウターのスイッチを切ってまくしたてた。そもそもそんなでかい隕石の接近など、発見から衝突までに、十分対策を取れる時間はあったはずであると。
幼い王子は、小さく可愛らしい見た目に似合わない鋭い視線を、自分の養育者に選ばれた巨躯の男に向ける。傲慢なほど聡明なその瞳の輝きは、最上級戦士の素質を秘め、さらにはたった五年ではあっても、支配者としての教育を徹底して受けた者のみが持つものだった。あとそこに足りないものは残酷さだけだと思った。いや、もしかすると、頭でっかちだの、慎重派だの、ナッパが先ほどそう決め付けたものこそが、王子の酷薄さそのものなのかも知れないと思った。
たった今さっきフリーザを前に、幼いなりに懸命に対等な立場を譲ろうとなかったサイヤ一族最後の王の姿を目にした後は、最初の印象とは違ったものとなってナッパの中で落ち着いた。
「弔い合戦をやるか?」
王子の言葉にナッパは肩をすくめる。そんなことをしても無駄に殺されるだけだとしみじみ実感した。そもそも本気で言った言葉ではない。
「ナッパ、オレはな、生き延びるぞ」
ナッパは、この一族中他に類を見ないほど大きな戦闘力を秘めた王子が、その言葉通りしぶとく生き延び、いつか一族の雪辱を果たすに違いないと思った。決して形あるものに執着しないサイヤ人であったが、名誉のためであればそんなことにこだわりはしなかった。ナッパはこの王子に、自分の中のサイヤ一族の誇りの全てを託して背負ってもらうことにした。その代わり王子のためなら、機会があれば、自分の全てを投げ打ってもいいかも知れないとも思った。
決心というほど強い感情ではなかったが、ぼんやりとでもそう思えることは、サイヤ人にはめったになかった。もしかしたら、ほとんど滅亡といってもいいこの状況で生き残ったせいかも知れない。あるいは今だけの気まぐれな感情かも知れない。とにかく王子にはそんなことを言いはしない。王子は必要があれば、いつでも自分を見捨てることに躊躇してもらっては困るからだ。だが無論そんな心配をする必要はなのだろう。五歳とはいえ、彼は生まれたときから支配者となるべく教育を受けてきたサイヤ人の中のサイヤ人である。