「王子よ、お前は動くな」
王は腕を組んで、数歩先の足元から見上げる小さな王子に、威圧的な眼差しを送りながらそう言った。
我が子の目の高さにあわせるためにかがみ込んだり、腕に抱き上げたりすることはしない。髪や頬に、そっと手を伸ばすこともしない。
愛していないわけではない。探せばどこかにそういう感情はあったかも知れないが、大方のサイヤ人はそういったものを自分の中に探そうとはしないものだった。むしろあえて目を背ける。それは自己防衛ともいえた。
「おまえの出番は、おまえ以外の一族総てが死んだときだ」
何かに囚われてしまうから。枷になってしまうから。気づいてしまえば、意識してしまえば、自分の中の愛を知ってしまえば、他者の愛にも気がついてしまうから。気がつけばためらいが生まれるから。非情に徹することが出来なくなってしまうから。サイヤ人が強さだと信じているものが、失われてしまうから。
「我ら一族が滅亡しても、おまえは生き延びなければならない」
強さを失えば、サイヤ人には何も残らない。それ以外に何も持たないから。何も持とうとしいから。それ以外の総てに背を向けていたから。
だから、たったひとつの持ちモノであるその強さが、自分たち以外の誰か別の存在のモノであることは絶対に許されなかった。自分たちこそが宇宙最強なのだ。一族の誇りにかけて、例え最後の一人になっても取り戻すべきだった。
「おまえこそが、最も超サイヤ人に近い者だからだ。
我らほど強大な敵に直面したサイヤ人はかつていなかっただろうし、おまえに匹敵するほどの力を持って生まれるのも稀だ。
こうしてこの時代に揃った二つ事柄こそが、超サイヤ人覚醒の条件を満たすものであると、ワシは確信している。」
王は膝を折って、王子の前に姿勢を低くした。だがそれは、決して愛情を示すためではなく、敬意を払うための行動だった。
王は王子に跪いた。
こうして近くに顔を寄せ合あえば、親子だけに、いっそう顔立の相似が目に付いた。キリリとつりあがった眉のラインに沿って鋭く切れ上がった眼と、筋の通った形のよい鼻。歪んだ口元。
ただ、王の瞳には洗練された冷酷さが宿っていたが、王子の方にはあどけなさが見え隠れしていた。口元も、王は皮肉に歪んでいたが、王子はきつく歯をかみ締めているために歪んでいた。
「サイヤ人にとって、力こそが最上だ。力あるものに屈することは屈辱ではない。だが、それはこれまで、一族の外に強い者の存在を知らなかったから言えたことだ。
最初にフリーザを見たときには気づかなかった。その計り知れぬ力のあまりの見事さに恍惚とさえした。圧倒的な力を前にして、我らは当然のように屈したのだ。はたから見れば、まるで神の降臨かとの勢いで、フリーザを崇めていたかも知ない。だが、すぐに我らはそれがいかに屈辱的なことであるかを知ったのだ。我らは、束の間とはいえ、まったく舞い上がってしまっていたのだ」
王は口の端を幾分上げると、無表情なわが子の顔を目の前に、自嘲的な笑みをつくった。
「愚かだと思うか。そうだ。愚かだ。フリーザあたりにしてみれば、我らは戦いしか知らぬ、愚かで無知なサルなのだ。
王子よ、ワシは王であり、おまえの父であるが、いずれ目覚めるはずのおまえの中の超サイヤ人に、こうして跪くことにためらいはしない。
だが、今後、我が一族が永遠にフリーザに屈し続けるか、屈したまま滅びるようなことだけは認めるわけにはいかないのだ」
王は立ち上がると、赤いマントをひらめかせて王子に背を向け、タイヒ石の床にかたい足音を鳴らしながら、ゆっくりと、高い天井から床面まで至る大きな窓の方へ歩いて行きながら、誘うように王子の方へ軽く振り向いた。
王子は先ほどから、口元をキュッと引き結んだまま一言も口をきかず、幼いに似合わぬ厳しい眼差しをじっと父王に向けたままだったが、促され、父とともに、窓外に張り出した、手すりのない半円形の広い露台へと出た。
露台の際まで行くと、高い塔からのぞく足元直下は底知れず、自分たちの今いる王宮を頂上に、隆起した地形の裾野に向かってサイヤ人の街の明かりが広がっていた。街の喧騒は王宮までは届かない。ただ風の音だけがビョウと耳に入るだけだった。王子の軽い体は、空を力強く駆ることのできるサイヤ人でなければ、簡単に吹き飛ばされていたに違いない。
暗くなりかけた今、肉眼ではっきりと確認することはできないが、街は時代物の古い城壁でぐるりと囲まれていた。城壁の内側は人工的な光が満ちていたが、その外には広大なプランテーションが広がっている。攻め落とした惑星から、強制的に連れてきた異星人が、サイヤ人のための食料を栽培、あるいは飼育しているのだ。真面目に働いてさえいれば虐げられることもなく、日常生活に支障をきたさない程度の自由もあったが、奴隷には変わりなかった。今は道路沿いの街灯の列と施設の照明、彼らの生活の明かりが、闇の中、まばらに見えるだけだった。
露台から東の方へ目を向けると、高い塔の影に隠れて発着場は見えなかったが、いくつもの戦闘員用のポッドが、赤から濃紺へグラデーションする空へ、星が流れるように輝く軌跡を描きながら消えていく光景が目に映った。空に輝く無数の星が、まるで総てサイヤ人を乗せた、あの丸い小型宇宙船のような錯覚に陥る。もちろん逆に空から流れ落ちてくる星もあったが、今はちょうど時間帯的に、出撃するポッドのほうが圧倒的に多かった。
「一族が一人残らず死ぬまで、オレは動いてはならないのか」
この日、王と共にこの部屋に入ってから、王子がはじめて言葉を発した。
風の音に掻き消えそうなその声を、王の耳はしっかりととらえた。
強力な種族にとっては、この程度はそよ風に吹かれているのと大して変わらないのかもしれない。逆立つ髪の毛は強風に存分になぶられていたが、サイヤ人の親子はいたって平然とした表情をしていた。
「そうだ、一族のあらかたは近いうちに死んでしまうだろう。フリーザの力が我らの想定内のモノなら、犠牲は大きくとも、最後にはフリーザの息の根を止めることができるかも知れない。その時はお前の出る幕はない。あるいはお前も巻き込まれ、一族の手にかかって死ぬ可能性もある。だが、我らの予測を上回れば、一族は滅亡する。お前と、もしかしたら数人の者を残して・・・
その時は、お前は最後まで生き延びねばならない。どんな手でも使え。情けなくともよい。瑣末なことにこだわるな。一時の屈辱さえ糧にせよ。そしていつか超サイヤ人として覚醒し、必ずフリーザを倒すのだ」
「・・・」
「同時にお前は王族としての責任を果たさなければならない。一族の最後の死に水をとるのはお前だ。どうせ時がくれば完全に滅びる運命だ。フリーザは子を産む女を残すようなことはすまい。総てに方つけをつけて決戦に臨むのだ」
何ものにも依存していないようでありながらも、一族の中に身をおく今と比べると、わずかに残されることになるだろう同胞たちとのつながりは、ともするとずっと緊密なものになりかねない。
超サイヤ人への覚醒のためには非情に徹しなければならない。そのためには、必要以上の仲間意識や絆は邪魔なものでしかない。
「そういったもの総てを断ち切る意味でもだ。時期が来ればためらうな」
邪魔になるほどの仲間意識や絆、というものが、王子にはよく飲み込めなかった。そういうものを実感し、意識するのはずっと後のことになる。
十年も後、ある星で成り行きで情を交わした異星の女の、ちぎれた腕が血溜まりの中に転がっているのを見たとき、王子は今日の父王の言葉を、うっかり心に誰かを住まわせることの危険さを理解する。
万が一、自分以外のことに心を囚われることがあれば、決して強さを極めることはできないに違いないと。
その女にそれほどの執着を感じたわけではなかったが、彼にそういうものを想像させてくれるほどには意味のある女だった。
だが、更に後には、また違った答えを見出すのであるが、それはまだまだ先のことである。
「やがてお前にも死が訪れる。その前に、サイヤ人に宇宙最強の名を取り戻さすのだ」
王は立ち去った。
王子が父と二人きりでこれほど長く語らったのは、これが最初で最後だった。ほとんどは王が王子に語りかけるだけではあったが。
翌日の午後、王子はフリーザ軍へ、名目はどうあれ、事実上人質として差し出された。
フリーザの宇宙船に連れてこられた王子は、窓もモニターもない部屋に、スカウターもなんだかんだと理由をつけて奪われ、外部といっさい切り離された状態で軟禁された。
幼くともサイヤ人の王子が、力ずくで部屋を出ようとした場合に備え、部屋には万全の対策がとられていたが、囚われ人である当の本人は、いたって物静かに部屋にこもっている様子だった。
サイヤ人が暴れるとなれば、並大抵のことで抑えられるものではない。なにしろ暴れると一度決めてしまえば、加減とか理性とか、そういったものは恐ろしく潔くどこかに放り出してしまうことのできる連中である。幼い子供といえど侮れない。むしろ幼いほうがかえって始末かが悪いかもしれない。そのように認識している今回の責任者は、王子の従順さにほっと胸をなでおろしていた。かえって拍子抜けするほどだった。
ちなみに万全の対策とは、どうにもこうにもならなくなった時は、部屋ごと切り離して宇宙に捨ててしまうという、荒っぽいものだった。
こうして二週間が過ぎた。王子の軟禁は解かれ、違う部屋へと連れて行かれた。最初の部屋と広さも調度類も似たようなものだったが、新しい部屋には大きな窓が切られていた。不純物の一切混じらない分厚い特殊な強化ガラスは、手を伸ばさなければそこにあるとはわからないほど完全な透明をして、何も反射させていなかった。その窓の外に目を向けた王子の片眉が、ピクリと動いた。
窓から目を離さない王子の様子を、この部屋に案内してきたフリーザ軍の高級文官が、面長の顔の側面にある黒目がちの目を落ち着きなくギョロギョロさせながら、身の縮む思いでうかがっていた。何故自分のようなか弱い者が、こんな荒っぽい種族への対応を押し付けられなければならないのか、恨めしく思っていたに違いない。
だが、窓外の異変に取り乱して暴れるわけでもない子供の様子に気を取り直すと、前方に突き出した口元に握りこぶしを軽く添え、咳払いをひとつして、ひかえめに王子の注意を促した。
振り向いた王子の眼差しは、案外理知的に見えた。サイヤ人とは思ったほど野蛮な種族ではないのかも知れないと、文官は認識を改めざるを得ないほど、王子は物静かなたたずまいをしていた。
それでも声をいささか上ずらせながら、ベジータ王子よ、誇り高きサイヤ一族の王子よ、賢明にして一族最強のベジータ王の後継者よ、と、まどろっこしい言い回しで状況の説明をはじめたが、その時、王子の眉間に一瞬いらだたしげに皺が寄ったことには気がつかなかったようだ。
「惑星ベジータが吹っ飛んだのか」
目を丸くして驚く王子は、年相応に幼く見えたが、その反応は文官が想像していたのとは随分と違うものだった。それでも文官は予定通り、さも同情を禁じえないといった風にうつむいて、顔の側面についた目を伏せると、事前に準備しておいた言葉を続けた。
「気を落としになりませんよう、王子、慈悲深いフリーザさまは、残された王子のことを、それはそれは心にかけておいででございます。きっと身の立つように計らってくださるはずですから・・・」
「あそこに流れている流星群は、もしかして惑星ベジータの欠片か?」
「は?ああ・・・はあ、まあ、お気の毒でございますが・・・その通りでございます・・・」
「ふ〜ん、木っ端微塵だな。すごかっただろうに、残念だな」
残念だ、とはどうい意味だろう。その前の王子の言葉の調子から察するに、どうやら、爆発を見れなかったのが残念だと言っているようにも聞こえなくもない。文官は目を白黒させながら、どういう返答をするべきか判断がつかず、もごもごと適当なことを言いながら部屋を出て行った。とにかく、惑星ベジータがどうなったか王子に伝えるという、彼の仕事は果たすことができたのだ。
王子は彼の逡巡など気にする様子もなく、やがてサイヤ人の生き残りの一人がその部屋に連れてこられるまで、先ほどまでとはうってかわった深刻な面持ちで、じっと窓外を見つめていた。