意識が覚醒する。体が引きずられて移動している。足を高く持ちらげられ、尻から後頭部にかけて地面をこすっている。そこから草と土の匂いがした。目を薄く開くと、重なり合う木々の枝と葉の隙間に、白っぽくくすんだ赤紫の空が見えた。この星では、俺はよくこんな風にひっくり返って空を見上げるのだな、と、ベジータはぼんやりと思った。ふと、スカウターを何処かに落してきたらしいことに気付く。
彼の足を持ち上げて、ずるずると引きずっている何者かは随分と非力らしく、全く距離がはかどらなかった。もしベジータがラディッツくらい体が大きければ、多分足を持ち上げるだけで精一杯に違いなかった。
立ち上がって歩くくらい、なんとか出来そうだったが、ほっとくことにした。なんだかめんどくさかった。何の脅威も感じない、非力な生物だ。いざとなればどうにでも出来る。とんでもないところに連れて行かれてもその時はその時だ。
次に気がついたときは夜だった。草の上に転がされ、傍に火が焚かれていた。どうやら森の中らしい。遠くに獣か鳥の声が聞こえるが、近くに人か、大きな生物の気配はなかった。ベジータは、自分の暢気さに思わず苦笑する。こんな状況でよくのんびり眠っていられたものだ、と・・・
起き上がろうとするが、体に力が入らない。最後にまともに食らった攻撃は、思った以上に体にダメージを与えたらしい。体のあちこちが痛い。自分がかなりやっかいな状態にあることを認識する。
ところで、体の傷には手当てがされていた。彼をここまで引きずってきた何者かのやったことだろう。そうであれば、あとベジータがすることは睡眠をとることだけだった。その何者かが彼に危害を加えるつもりならとっくにやっていただろうし、例えそんなものを加えられても、今更傷のひとつふたつ増えても大した違いはない。
随分と長いこと眠っていたような気がした。ベジータは喉の渇きを覚えラディッツの名前を呼ぶ。かすれた声で水をよこせ、と。すぐにラディッツがいないことを思い出すが要求はかなえられた。
気配に視線を動かすと、屈みこんでこちらを見下ろす影が、水の満たされた透明の器を差し出していた。
ベジータは、一応警戒しながらゆっくりと体を起こすと、片手で目の前の器を受け取った。頭からすっぽりと大きな布のようなものを被っており、焚き火を背にしているせいで濃い影がその正体を隠していたが、器を捧げた手だけが、人間であるらしいことを物語っていた。ベジータは、その影へ鋭い視線を向けたまま、片肘をついて上半身を支えた体勢で、器の中の液体の匂いを確認すると、そのまま一気に飲み干した。
辺りはまたもや夜である。その夜がさっきの夜と同じ日の夜なのか、違う日の夜なのかが、ベジータにはわからなかった。思い出して月を探した。月光に影を濃くした木々の、梢の向こうに見える月の弦はもうすっかり張り詰めて、明日の夜には真円を描くであろうことがわかった。では彼は、二週間もこの地面の上に転がっていたことになる。
― いくらなんでも、なんてことだ・・・俺としたことが・・・
「体に蟲が寄生しているな」
不意に声がした。女の声だった。
「ムシだと?」
「肩の傷・・・そこから蟲が入った。蟲は宿主の力を餌にする。普通、お前のような傷を負えばもうあとは死ぬだけだ。手当てはしたが、まさか回復するとは思わなかった・・・いや、蟲にとりつかれていなくても、あの傷で生きているなど普通ではないな・・・」
回復と女は言ったが、傷が治った分だけいくらか楽になったという程度で、ベジータの体は最後の戦闘の時より、さらに弱っているのは明らかだった。
お前は医者なのか、という問いに、女は首を振った。
「私は巫女だ。医者ではないがいろんなことを知っている。予言もする。キカット人は明日の満月の夜に滅びる。お前の手によってな」
「なるほど、優秀な巫女だ。では、蟲を追い出す方法も知っているのか?」
「そうだ、知っている。私を抱け」
さすがのベジータもこの言葉には面食らった。若い彼はまだ女を知らなかった。機会もなかったし興味もなかった。そもそもサイヤ人の女はベジータがまだ幼い頃にとっくに死に絶えていた。もしかしたらフリーザ軍の中にもメスが混じっていたかもしれないが、ベジータがそう認識できる範囲で、女、あるいはメスと関わりをもったことさえなかった。
「なんだと?」
内心の動揺を押し隠して、吐き捨てるように聞き返した。
「女を抱けば、蟲は女の体の中に吐き出される。しばらく女の子宮に留まり、やがて血液と共に体外に排出される・・・妊娠しなければな」
「孕んだらどうなる?」
「関係ない。私は明日の満月の夜に、他のキカット人とともにお前に滅ぼされる」
「・・・そうとわかってなぜ俺を助ける?そもそも何故傷の手当をした?わけがわからん。何故お前の言うことが信じられる?」
しばしの沈黙。
「かつて敬われた神官や巫女は、時代とともに軽んじられ、疎まれるようになり、やがて行き場を失った。私は一族の最後の生き残りだ。私はちょうど1年前にキカットの滅亡を予言し、とうとう森に追われ、獣のように生きることを強いられた。私の予言は私と、私の一族の誇りにかけて絶対に実現されなければならない。だからお前には万全の状態で事にあたってもらわなくてはいけないのだ」
女の説明は端的で、声に込められた響きに嘘は感じられなかった。少なくとも、彼女自身の真実を語っているに違いない。ベジータのような者以外が聞けば、恨みがあるとはいえあまりに身勝手で極端すぎる話であったが、ベジータには、空々しい綺麗事に命をかける者たちよりもよほど理解できた。だからと言って完全に信用するほどお人よしではない。それでも他にどうしようもない。このままでは、明日の夜大猿になって制圧を完了したとしても、それを過ぎた後は精も根も尽き果て、今度こそくたばってしまうに違いなかった。とはいえ、まさかフリーザに助けてくれと泣きつくくらいなら、それこそ野垂れ死んだほうがましだった。
「この星をヤルことは俺の仕事だ。俺はみかえりを要求しないやつは信用しない」
「・・・私は処女だ。巫女は処女のまま死ねば、次の世でも再び巫女として生まれ変わる。私はそれを望まない。しかもお前は美しい。抱かれるならお前に抱かれたい。そして私は醜い。誰も望まぬ私を、お前は抱かなければならない」
女は、ベジータに自分の姿がよく見えるように、焚き火の向こう側に移動すると、頭から足元までを覆っていた布を、地面にすべり落した。ベジータは、女の頭からつま先まで視線を走らすと、フンと鼻を鳴らした。
「まあいい、信用したことにしておこう。言っておくが、俺は女なぞ抱いたことはない。だがやるべきことはわかっている」
「・・・私の姿を見て、お前にためらいはないのか?」
「醜いからか?それがどうした、俺にとって女の美醜など何の意味もない。
・・・まあ、だがもちろん、イボイボのカエル星人や口の突き出た鰐女とやるのはごめんだがな。あと手足がいっぱいあるのもだめだ。猿ともやらん。だがお前は少なくとも人間だ」
聞き様によっては随分な言い草だが、女は満足したようだった。