はじめて空を見上げたことと、その前後の出来事 7

自分の粗末なベッドの上で女が目覚めた時には、昨夜自分を抱いた男の姿はもうすでにどこにも見当たらなかった。

男は、衰弱しているとはとうてい思えない力で女を楽々と思い通りにしたが、彼なりに力加減に気を使っているらしいことは感じた。だがそれ以外は何の優しみもなく、ただ荒っぽく大雑把に行為を行っただけで、お互いに着衣さえほとんどそのままで事は終わった。ただ目的だけを果たしただけのものだった。果たして、相手が違えば男はもっと貪欲に行為に耽けることもあったかもしれないと、ふと心を掠めないでもなかったが、それでも女は満たされていた。もちろん肉体的な快楽はありようもなかったが。

女はもちろん知りはしなかったが、サイヤ人は性に関しては、極めて淡白な種族だった。一に戦闘二に戦闘、三、四がなくて五に食欲というくらい戦闘好きの彼らは、殺すことで全ての欲望が解消され、なにものにも代えがたい快楽を得ることができた。それは、ただ閨の中で腰を動かすだけの、局部的な刺激と射精のみで完結する性的快楽と違い、体と精神の隅々まで打ち震わす、上質で圧倒的なものだった。性交渉は、種を絶やさないために欠かすことは出来ないものであったが、それに伴うわずかばかりの快楽は、義務を果たしたことでもらえるおまけのようなものでしかなかった。少なくともサイヤ人はそう信じていた。あるいは、行為を行っているときのあまりの無防備さを、サイヤ人たちの血が恐れていただけかもしれない。

下腹部に手をあててみる。ここに男の吐き出した蟲が眠っているのだろう。蟲が男から吸い取った力は膨大なものに違いなかったが、いくら力を吸い取ったとしても、蟲自体が力をつけることはない。吸い尽くし、宿主が死ねば蟲も死ぬ。普通はどんな屈強な男(キカット人の基準であるが)でも、一週間で力は尽きてしまう。
しかしあの男は、100日以上も体の中に飼い続け、それでもなお力は枯渇することはなかった。この星を滅ぼす男だ。

もう行ってしまったのだろうか。ならばまず自分を殺して行けばいいものを。

女はそう考えながら、けだるげにベッドから滑り降りた。

女はまだ少女といってもおかしくない年齢で、相手に選んだ男よりわずかに上という程度だった。所作に気品はあったが、年相応の柔らかさや瑞々しさ、体の均整がとれていないせいか、軽やかさといったものに欠けていた。瞳を覗き込めば眼差しは美しかったが、突き出した眉骨の影に落ち窪み、そのことに気付く者は少なかった。
神に仕える巫女ならば、姿形はどうあろうと関係なかったが、彼女が巫女として生まれたこの時代には、神事はすでに形骸化しており、かつて人々に敬われた神官や巫女たちも、すでに往年の神秘の力を失い、彼らは過去の遺物として、どちらかといえば疎まれる存在と成り果てていた。
そのため、人々は幼い頃から巫女の力に恵まれた彼女に得体の知れない恐怖を感じ、目を背けて否定した。彼女の醜さも人々の恐怖心を煽り、いつしかその恐怖は蔑みにすりかわった。
女は一年前に、最後の予言を行った。キカットは滅亡するのだと。それは、人々には予言ではなく呪いのように聞こえた。女が美しければ、巫女としての力を奪うための別の方法がとられたに違いなかったが、女の容貌はすでにその力とともに恐怖と蔑みの対象でしかなかった。誰もその役を買って出るものはなく、彼女は捕らえられ、森へと追放された。処刑することさえ出来ず、あわよくば自分達の目の届かないところで野垂れ死んでくれればと思ったに違いない。
だが彼女は野垂れ死にはしなかった。この一年、自分の予言を実行する者を静かに待ち続けていたのだ。

粗末な住まいの外に出ると、女の目に思いがけない光景が飛び込んできた。辺りに大小の大量の骨が散らばっている。散乱した骨の真ん中で、男がまだいくらか肉のついた骨をしゃぶっていた。女に一瞬視線を走らすが、すぐにそっぽを向いて、手にした骨を放る。

「飯も食わずに眠っていたからな」

男はボソリとつぶやいた。少し離れた場所に腰をおろすと、女はしばらくガツガツと食事を続ける男の姿をぼんやりと眺めていた。

*

「ここを発つ前に私を殺せ」

食事が済んだのを見計らって女は言った。ベジータがジロリと睨む。だが、そこには凶暴さや冷たさはなかった。そしてベジータは、彼には珍しく、ひとつひとつ言葉を選ぶように言った。

「お前が望むなら、お前は生かしてやってもいい。オレはお前に借りがある」

女にとって、それは思いもよらないことだった。自分だけが生き残ることに何の意味があるだろう。

「この星には残れまい。もしお前が望むなら、身を寄せることのできるめぼしい星に連れて行ってやる。そこでお前だけ生き延びればいい」

女に借りを返すだけだとベジータは思っていた。だがそれだけではないような気もどこかではしていた。それが何なのかはよく分からなかったが、別に分からなくても問題はなかった。女が自分の申し出を受ければ、フリーザの食指の動かないような辺境のつまらない星に、だが、ちっぽけな女が一人生きていくに不足ない星に送り届けてやればそれで終わりだった。他に何も考える必要はなかった。

「・・・いい・・・だがありがとう」

しかし、女はそう言ってベジータの申し出を断った。

ベジータは「ありがとう」などと、誰かに言われたのは初めてだった。別に礼を言われるようなことは何もないはずだ。彼は女に借りがある。それを返そうとしただけだ。だが昨夜のことと、今夜キカット人を殲滅させることで、本当にちゃらになると女が言うなら、別に無理強いにさらに何かを返す必要などないのだろう。
じゃあ殺してやるさ、と小さくつぶやいて、そのことは終わりにすることにした。

女は胸が熱くなるのを感じた。力に満ち溢れた、誇り高い美しい男が、これまで誰にも省みられず、迫害され追放された醜い自分を、どういうつもりかは知らないが、それでも気にかける言葉をかけてくれたから。
だが女は、一族が滅亡してなお生き続けられるほど自分が強くないことを知っていた。いつも一人だったが、やはり一人ではなかった。

「私がまだ巫女の資格を失う前、お前が眠っている間に、私が見たお前の未来を教えて欲しいか?」

そんなことは別に知りたくもなかったが、ベジータは鼻を鳴らしただけでなんとも応えなかった。女はそのまま言葉を続けた。

「お前の行く先々で血が流れる。累々と横たわる死屍の上に立つお前の姿が見えた。終には仲間さえ死に追いやり、やがて死ぬ」

予想通りの人生だな、と言って、ベジータは声をあげて笑った。そんなものは予言でもなんでもない、と。

「だが、その死の先に安らぎを得る」

「なんだ?俺は天国にでも行くのか?散々殺しておいて、そりゃいい」

ベジータは馬鹿にしたように吐き捨てた。

「修羅の道を経て善趣へ赴くとは、類稀なる運命だな・・・いや、この男を、修羅の道から善趣へ導くその女こそ、類稀な存在なのか・・・昨夜、この男の夢をおとなったのはその女か・・・?」

その最後のつぶやきは、ほとんど声にはならなかったので、すでに一切の興味を失っていたベジータの耳には届かなかった。

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